築地古墳とは? わかりやすく解説

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築地古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 17:15 UTC 版)

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築地古墳
築地古墳の跡地
所在地 愛知県刈谷市築地町
位置 北緯35度01分01.80秒 東経137度00分42.50秒 / 北緯35.0171667度 東経137.0118056度 / 35.0171667; 137.0118056座標: 北緯35度01分01.80秒 東経137度00分42.50秒 / 北緯35.0171667度 東経137.0118056度 / 35.0171667; 137.0118056
形状 円墳
埋葬施設 横穴式石室
出土品 須恵器土師器・鉄製馬具
地図
築地古墳
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築地古墳(ついじこふん)は、愛知県刈谷市築地町にある古墳

歴史

逢妻川に面した碧海台地の崖端に位置している[1]大正時代に行われた耕地整理の際に発見されたが[1][2]、正式な発掘調査などが行なわれることなくそのまま取り壊されて滅失した[1][2]。そのため主体部の詳細などは不明だが、横穴式石室を持つ[2]小規模な円墳であったといわれており[3]、掘り出された石室材は1つを残して当地の氏神である熊野神社に運ばれたという[1]1989年平成元年)刊行の『刈谷市史』には「神社に石室が復元された」旨の記述があるが[4]2017年(平成29年)現在の同社にそれと見えるものは確認できない。伝えられる規模などから地方の小豪族と推定されている[5]

その後、現地とその周辺は長らく農地として利用されていたが[6]1994年(平成6年)に刈谷市総合運動公園が開設され[7]、現在では古墳が在ったことを示す表示が歩道沿いの植え込みの中に置かれるのみである。

出土品

※ これらの出土品については個人蔵との記録がある[1]

アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e 刈谷市誌、pp.107-108
  2. ^ a b c 遺跡分布調査報告、pp.27
  3. ^ 雁が音中学校 学区(かりがね小学校、平成小学校、富士松南小学校)”. 家造.net. 2013年2月25日閲覧。
  4. ^ 刈谷市史、pp.223
  5. ^ 愛知 史蹟郷土史、pp.285
  6. ^ 1987年10月23日撮影の空中写真”. 地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院). 2013年2月25日閲覧。
  7. ^ 都市計画公園・都市計画緑地一覧”. 刈谷市 (2012年12月21日). 2013年2月25日閲覧。

参考文献

  • 刈谷市誌編さん委員会 編 『刈谷市誌』、愛知県刈谷市役所、1959年
  • 愛知県教育委員会 『遺跡分布調査報告 三河篇』、1961年
  • 『愛知 史蹟郷土史』 講談社、1982年、ISBN 4-06-142654-0
  • 刈谷市史編さん委員会 編『刈谷市史 第一巻』、刈谷市、1989年



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