笹川みすとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 笹川みすの意味・解説 

笹川みす

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 22:26 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

笹川 みす(ささがわ みす(丹羽 みす)、安政2年5月5日1855年6月18日) - 大正7年(1918年1月25日)は、新潟県助産婦教育者

経歴

1855年安政2年)、現在の新潟市北区葛塚に、笹川喜七(嘉七)の三女として生まれる。1881年明治14年)、新潟医学校付属産婆教場が設置されると、第1回入学生となり、1883年(明治16年)、同校卒業。西洋産婆第1号となる。河野貞の後任として同校助教諭試補産婆生徒取締となる。元新発田藩士丹羽済五郎と結婚。

1885年(明治18年)、新潟医学校付属産婆教場が新潟県立甲種新潟医学校付属産婆学校と改称。1886年(明治19年)、警官であった夫の丹羽済五郎が職務中、コレラに罹患・殉職し未亡人となる。

1888年(明治21年)、新潟県立甲種新潟医学校が廃校、同時に付属産婆学校も廃校となる。「新潟私立産婆養成所」を設立し、以後10年間にわたり助産婦教育にあたる。

1892年(明治25年)、『産婆十三戒』を著す。

1898年(明治31年)、新潟私立産婆養成所が高橋辰五郎の高橋産婆学校と合併。以後、産婆教育から手を引き、開業助産婦として新潟市で活躍する。

1915年大正4年)、養女の丹羽千久代に仕事を譲る。1918年(大正7年)、63歳で没す。

関連人物

外部リンク・参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「笹川みす」の関連用語

笹川みすのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



笹川みすのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの笹川みす (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS