第8回十字軍と聖ルイ王の最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:09 UTC 版)
「ルイ9世 (フランス王)」の記事における「第8回十字軍と聖ルイ王の最期」の解説
晩年になると健康の不調で先が長くないと感じ、崩御する前に再び十字軍(第8回十字軍)を起こす事を望んだ。1270年に出発し、イスラム圏であったチュニジアを攻撃したが、飲用水が劣悪だったことや熱さにより病気がはびこり、ルイ9世も同地のチュニスでペストに罹患し、陣中で病没した。最期の言葉は「イェルサレム」だったという。 同行していた息子のフィリップは帰国してフランス王に即位した。ルイ9世は、崩御後27年の1297年にカトリック教会により列聖されている。
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