第2共和国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/05 05:57 UTC 版)
1950年5月30日に参議院議員に当選し登院した。その後朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との平和的な統一のための交渉を開始しなければならないと主張した。1961年1月には南北統一の最初のステップとして、金枓奉元最高人民会議常任委員会委員長、崔庸健最高人民会議常任委員長、洪命熹副首相らを韓国に招待するべきと主張した。これに対し張勉総理は正式に提案したのであれば問題視せざるを得ないと発言した。 1961年に日本を訪問し、終戦時に朝鮮総督府政務総監であった遠藤柳作に、なぜソウルにソ連軍が進駐すると言ったのか尋ねたところ、遠藤は内務省から来た電報に朝鮮が分断統治されるとあったと答えた。同年5月16日に朴正煕が起こした5・16軍事クーデターの後に議員を辞職した。
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