第179歩兵旅団 (人民解放軍陸軍)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 第179歩兵旅団 (人民解放軍陸軍)の意味・解説 

第179歩兵旅団 (人民解放軍陸軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/17 09:11 UTC 版)

第179歩兵旅団
創設 1949年3月5日
所属政体 中国
所属組織 中国人民解放軍陸軍
部隊編制単位 旅団
兵科 歩兵
兵種/任務 歩兵
編成地 太原東山
通称号/略称 73096部隊
愛称 臨汾旅(临汾旅
上級単位 第60軍-第12軍
最終上級単位 第12集団軍
最終位置 南京
戦歴 国共内戦
朝鮮戦争
中越戦争
テンプレートを表示

第179歩兵旅団第179步兵旅)は、中国人民解放軍陸軍の旅団の1つ。第12集団軍に所属する。旧第179師団。対外的に開放されている数少ない部隊の1つ。部隊創設以来、4人の戦闘英雄を輩出した。

歴史

第179旅団は、1945年12月13日に山西決死3縦隊を基盤に改編された晋冀魯豫野戦軍第8縦隊第23旅を前身とする。第23旅は、第67団、第68団、第69団を管轄し、総員4,975人だった。旅長は黄定基、参謀長は張振華、政治部主任は鄭其貴。

国共内戦

  • 1945年7月 - 太行軍区独立旅に改称
    • 11月 - 太岳軍区第12旅に改称
  • 1947年8月1日 - 晋冀魯豫野戦軍第8縦隊が編成され、その編制に配属。総員5,908人
    • 10月 - 運城の戦いに参加し、敵団長以下1千人を撃滅
    • 12月 - 再び運城戦役に参加して、主攻を担当し、敵5千人を撃滅した。この戦いで、第69団第7連の戦士、車元路に「鋼鉄勇士」の称号が授与された。第67団第2営と第69団第2営には「攻運先鋒営」、第69団第4連には「開路先鋒連」の称号が授与された。
  • 1948年3月7日 - 臨汾戦役に参加し、臨汾を解放。戦役中、敵6千人を撃滅。
    • 6月4日 - 徐向前元帥により、「光栄的臨汾旅」の称号を授与される。偵察排長李来龍、工兵排長張貴雲、第68団第8連副連長張徳興には、各々「偵察英雄」、「工兵英雄」、「戦闘英雄」の称号が授与された。
    • 6月10日 - 晋中戦役に参加し、閻錫山の「親訓師」(第72師)と「親訓砲兵団」を撃滅
    • 8月 - 山西省太谷において、砲兵大隊(山砲連、重砲連、戦防砲連)を増設
    • 9月 - 国民党趙承綬集団を包囲し、第9総隊を撃滅した。
    • 10月5日 - 太原戦役に参加
  • 1949年3月5日 - 太原東山において、中国人民解放軍歩兵第179師に改称。師長黄定基、政治委員肖新春、副師長呉仕宏、副政治委員鄭其貴、参謀長門国梁、政治部主任張向善。所属の第67団、第68団、第69団は、各々第535団、第536団、第537団に改称された。
    • 4月24日 - 太原の戦いに参加
    • 7月12日 - 西北に移り、扶眉戦役に参加。扶豊地区において、国民党第177師を追撃、2,691人を撃滅
    • 8月29日 - 秦嶺戦役に参加し、第60軍の右路縦隊となる。
    • 12月30日 - 四川省成都に到達し、入城
  • 1950年2月 - 茂県地区に入り、茂県軍分区を兼任
    • 6月13日 - 西南軍区の命令により、起義した旧国民党第95軍第126師を編入。総員13,051人。

朝鮮戦争

  • 1951年2月 - 中国人民志願軍第60軍第179師として、朝鮮戦争に投入
    • 3月18日 - 北朝鮮に進入。第5次戦役の第1段階に参加。師団は、鉄原西白石洞等の地域から攻撃発起し、トルコ軍旅団の陣地を突破し、トルコ軍とアメリカ第25師団の連絡を遮断した。
    • 5月16日 - 戦役第2段階が始まり、第3兵団の予備隊となる。
  • 1952年10月8日 - 東部戦線の防衛に編入
  • 1953年5月 - 東部戦線と中部戦線の夏季反撃作戦に参加して、敵1個連隊を撃滅し、「連司」の称号と兵団通報表彰を受ける。
    • 10月4日 - 帰国

戦後

  • 1953年12月 - 安徽省蚌埠に駐屯。22日、安徽省嘉山において、砲兵第559団編成
  • 1954年2月 - 新編制に移行
  • 1955年8月 - 風陽地区において、強化歩兵団実兵戦術演習を実施
  • 1958年9月 - 南京軍区司令員許世友上将の視察時、第537団第6連の戦士が爆破の破片から将軍を守ったため、「尊幹愛兵表兵連」の称号を授与される。
  • 1960年10月 - 中国共産党中央軍事委員会により、南京軍区戦備値班満員師に指定
    • 1960年3月 - 第535団が合肥「特殊鋼廠」建設に参加し、毛沢東の接見を受ける。
  • 1961年2月 - 第181師坦克自行火砲第283団が配属される。甲種師編制に改編。
    • 9月 - 安徽省滁洲地区に移動
  • 1962年6月 - 安徽省滁洲から福州に集結し、中華民国軍の大陸侵攻を抑止
  • 1963年7月 - 安徽省滁洲に戻る。
  • 1964年3月 - 第12軍郭興福教学法の大練兵において、1個連、1個排、19個班が受賞した。
  • 1967年8月 - 安徽省滁洲から江蘇南京に移り、「三支両軍」任務を遂行
    • 9月 - 坦克自行火砲第283団が坦克第9師に配属
    • 12月 - 南京警備区を兼任
  • 1969年6月 - 砲兵第559団が第179師砲兵団に改称
    • 10月 - 南京警備区の任務を解除
  • 1971年3月4日 - 中央軍事委員会の命令により、対外的に開放され、送迎任務に従事
  • 1979年 - 中越戦争に1,800人を派遣
  • 1982年11月 - 甲種満員師に改編
  • 1983年10月24日 - 楊得志総参謀長、張震副総参謀長が部隊を検閲
  • 1985年10月1日 - 第60軍が廃止され、第12軍に配属。第357団は実兵団となり、第535団と第536団は教導団とされた。第12集団軍第179師に改称。
  • 1988年6月3日 - 「臨汾旅」命名40周年の際、徐向前元帥から祝電が届く。
  • 1989年2月 - 乙種歩兵師団に改編。第535団は、教導団から甲種歩兵団兼南京軍区特種警備団に改編された。第536団と第537団は、乙種歩兵団となった。
  • 1990年代後半 - 旅団に縮小され、第12集団軍第179旅となる。
  • 2008年7月 - 中国国際戦略学会の要請により、笹川日中友好基金の自衛隊代表団が同旅団を訪問。

編制

歴代師団長・旅団長

第179師師長・第179旅旅長
職名 氏名 階級 在任期間 出身校 前職
師長 黄定基 1949年3月 -
旅長 金川 大校
第179師政治委員・第179旅政治委員
職名 氏名 階級 在任期間 出身校 前職
政治委員 肖新春 1949年3月 -



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第179歩兵旅団 (人民解放軍陸軍)」の関連用語

第179歩兵旅団 (人民解放軍陸軍)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第179歩兵旅団 (人民解放軍陸軍)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第179歩兵旅団 (人民解放軍陸軍) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS