第11編の内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 08:32 UTC 版)
「支那思想及人物講話」の記事における「第11編の内容」の解説
俺はやはり江東の一詩人で居るのだ。「家を水辺に移してから 水鳥と親しくなった 僻地のお蔭で懶けて居れる 村の寂れも却って俺の貧に適わしい 弁当提げた百姓女に犬が随いてゆく 暁に耕せる農夫を雞は喚んでいる 平和な春だ 俺は何の愁も無くて 静かにこのまま老いて行きたい。」「渾沌既に死して一萬年 独り大樸を抱いて存う。」高啓、号は青邱。明一代の天才詩人であったが、彼に老後は無かった。彼の知人の魏観が蘇州の長官になってきて、昔の張士誠の城跡に手を入れて役所を移し、その落成の際青邱が上梁文を書いたのが原因で、猜疑深い惨酷な太祖のために魏観の処刑と同時に腰斬された。年は僅かに39であった。
※この「第11編の内容」の解説は、「支那思想及人物講話」の解説の一部です。
「第11編の内容」を含む「支那思想及人物講話」の記事については、「支那思想及人物講話」の概要を参照ください。
- 第11編の内容のページへのリンク