竹田定簡とは? わかりやすく解説

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竹田定簡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/23 10:06 UTC 版)

竹田 定簡(たけだ さだひろ、1815年文化12年)- 1889年明治22年)10月23日)は江戸時代明治時代儒学者、教育者。福岡藩の藩儒竹田家の第8代当主。藩校修猷館(東学問稽古所)第4代総受持(館長、「教授」とも称される)[1]は蕭韵。(あざな)は子得。通称は助太夫[2]

経歴

福岡藩の藩校である修猷館の、第2代総受持を務めた竹田定夫(梧亭)の子として生まれる[2]

1840年天保11年)、父の死後に家督をつぎ、修猷館総受持を命じられるが、修学のため休職して斎藤拙堂に学ぶ[2]。その後、総受持として学制を改革し、生徒を増員し、古い校舎を改築した[3]

脚注

  1. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)歴代総受持・館長15頁
  2. ^ a b c 『日本人名大辞典』 1137頁(講談社、2001年)
  3. ^ 『修猷館二百年史』 45-49頁、修猷館二百年記念事業委員会、1985年



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