竹田定琮とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 竹田定琮の意味・解説 

竹田定琮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/30 10:43 UTC 版)

竹田 定琮(たけだ さだみず、寛政4年12月29日1793年2月9日) - 文政12年2月19日1829年3月23日)は江戸時代後期の儒学者、教育者。福岡藩の藩儒竹田家の第7代当主。は榛斎。(あざな)は器甫。通称は定之進[1]

経歴

福岡藩の藩校である、修猷館の第2代総受持(館長)[2]を務めた竹田家第5代当主竹田定矩(復斎)の子として生まれる。寛政11年(1799年)[3]8歳の時に父定矩が死去し、叔父である修猷館第3代総受持[2]を務めた竹田家第6代当主竹田定夫(梧亭)の養子となる[1]

菅茶山に学び、帰藩後に修猷館で教え、後に教授となる。養父定夫の福岡藩藩主黒田家家譜編修をたすけた[1]

出典

  1. ^ a b c 『日本人名大辞典』(講談社、2001年)1137頁(「竹田榛斎」として記載)
  2. ^ a b 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)歴代総受持・館長15頁
  3. ^ 『日本人名大辞典』(講談社、2001年)1140頁



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  竹田定琮のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「竹田定琮」の関連用語

竹田定琮のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



竹田定琮のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの竹田定琮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS