竹田定矩とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 竹田定矩の意味・解説 

竹田定矩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/18 09:34 UTC 版)

竹田 定矩(たけだ さだのり、1769年明和6年)- 1799年寛政11年7月22日))は江戸時代儒学者、教育者。福岡藩の藩儒竹田家の第5代当主。藩校修猷館(東学問稽古所)第2代総受持(館長、「教授」とも称される)[1]は復斎。(あざな)は子恕。通称は平之丞[2]

経歴

福岡藩の藩校である修猷館の、初代総受持を務めた竹田定良(梅廬)の長男として生まれる[2]

1793年(寛永5年)長崎に遊学し、更に京都に上って西依成斎若槻幾斎らに学ぶ[3]。帰藩して、定良の後を継ぎ、1796年(寛政8年)に修猷館の総受持となり、黒田家の家譜編纂にも携わった[2]

病気を患い、1799年(寛政11年)から、島村遜井土周徳奥山弘道の3名が、輪番で総受持の職を代行することになり、同年に定矩が死去後も、弟である竹田定夫が総受持に就任する1807年文化4年)まで、その3名で代行している(翌年に井土周徳、翌々年に奥山弘道が死去したため、その後は島村遜のみが代行)[4]

脚注

  1. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)歴代総受持・館長15頁
  2. ^ a b c 『日本人名大辞典』 1140頁(「竹田復斎」として記載)(講談社、2001年)
  3. ^ 平松勘治『長崎遊学者事典』307頁(渓水社、1999年)
  4. ^ 『修猷館二百年史』 44頁、修猷館二百年記念事業委員会、1985年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  竹田定矩のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「竹田定矩」の関連用語

竹田定矩のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



竹田定矩のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの竹田定矩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS