立町の割り出し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 07:05 UTC 版)
立町の語源ははっきりしないが、他の城下町の例から、城からみて「縦」に長く配置された町というところから名づけられたのだろうとする説がある。 戦国時代には伊達氏の本拠米沢にあり、奥州仕置によって伊達政宗が移転を命じられると、伊達氏に従って岩出山に移転した。関ヶ原の戦いの後に政宗が仙台に居城を移すと、また従って移った。こうして伊達氏とともに転々とした町は全部で6つあり、御譜代町という。仙台の町人町には町列という序列があり、立町は大町、肴町、南町に次ぐ第4位とされた。 立町は、御譜代町の中ではもっとも北に設けられた。城下を南北に走る奥州街道(国分町)から、西に出る道の両側が立町である。南隣は背中あわせで肴町、北隣は武家屋敷であった。
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