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秋山忠右

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/25 08:42 UTC 版)

秋山 忠右
本名 秋山 忠右
ふりがな あきやま ただすけ
国籍 日本
出身地 日本 東京都
生年月日 1941年3月17日
没年月日 2013年6月25日
最終学歴 東京綜合写真専門学校研究科
師匠 石元泰博
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秋山 忠右(あきやま ただすけ、1941年3月17日 - 2013年6月25日)は、東京都出身の写真家[1]

経歴

1941年3月17日、東京都品川に生まれる[2]早稲田大学政治経済学部卒業後、1964年東京綜合写真専門学校研究科を卒業する[1]石元泰博の師事となったが[1]、1965年にフリーランスとなった[3]。同年には、佐藤晴雄と共同で制作した「若い群像(東京都写真美術館に作品収蔵)[2]」で第2回太陽賞を受賞、1991年には第31回ACC全日本CMフェスティバルのテレビCM部門において優秀賞となるなど、数々の受賞歴を持つ[1]。さらに、1992年に第39回カンヌ国際広告映画祭ファイナリストに入賞、1998年には伊奈信男賞特別賞を受賞している[1][2]日本写真家協会会員、東京綜合写真専門学校の講師(1970年〜)・およびその学校法人写真学園の理事(2001年〜)であった[3]

1987年北方謙三・中原淳と崩壊間近のベルリンの壁を越える旅をする[4]。「国境とは何か」を問い、日本の国境地帯を渡り歩き、中原と組んで県境飛地にも関心の幅を広げ、撮影して回った[5]

2013年6月25日、肺炎のため逝去した。享年72[3]

主な作品

  • 「若い群像」(東京都写真美術館)
  • 「空撮大東京」(東京都写真美術館)

主な個展

  • 「国境流浪」
  • 「くにざかい―目に見えない境界線」[5]
  • ほか多数

主な著書・写真集

脚注

  1. ^ a b c d e 秋山忠右 | 人名事典 | お楽しみ | PHP研究所”. www.php.co.jp. 2020年10月12日閲覧。
  2. ^ a b c 秋山忠右 プロフィール”. 2020年10月12日閲覧。
  3. ^ a b c 秋山忠右 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2020年10月12日閲覧。
  4. ^ 秋山・中原 2009, pp. 4–5.
  5. ^ a b 秋山・中原 2009, pp. 5–6.



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