秀吉、仙石秀久を派遣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 22:41 UTC 版)
天正11年(1583年)、中央では秀吉と柴田勝家による主導権争いが日増しに激化し賤ヶ岳の戦いが起ころうとしていた。そのため存保の要請に対して多くの軍勢を割くことはできずにいた。秀吉の命を受けた仙石秀久は小西行長、森九郎左衛門等と2,000の軍勢を率い、高松頼邑の守る喜岡城や牟礼城等、諸城の攻略に向かうもこれらを落とせず、一旦小豆島へと撤退する。同年4月に秀久と九郎左衛門は再度讃岐へ侵攻し、海上からすぐに着岸できる引田城に入城した。
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