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福島敬典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/01 12:27 UTC 版)

福島 敬典(ふくしま たかのり/よしのり、天保10年7月22日1839年8月20日) - 明治29年(1896年12月3日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。通称は弥太六越前国敦賀藩出身[1]

生涯

天保10年(1839年)、越前国敦賀藩士・福島忠右衛門の第十一子として生まれる[2]

戊辰戦争では新政府軍の摂津艦に乗り組み、越後および箱館方面の戦いに転戦して軍功を挙げた。明治元年(1868年)1月には藩船「富有丸」により石炭を積載して敦賀へ回航し、同年10月に軍務局の命を受けて摂津艦に乗船、翌2年正月の函館戦争に参加した[2]。同年8月には大阪丸艦長、11月には蝦夷地の流賊追討に従事し戦功を立てた[2]

明治維新後は海軍大尉となり、明治4年(1871年)11月20日に海軍少佐心得を命じられる。その後、明治9年(1876年)8月31日筑波艦艦長、明治11年(1878年)11月21日海軍大佐に昇進。明治12年(1879年)9月15日に海軍兵学校次長に就任し、明治15年(1882年)には扶桑艦艦長、同年8月19日迅鯨艦長、同年12月7日横須賀水兵屯営長などを歴任した[3]

明治19年(1886年)12月27日再び海兵校次長となり、明治20年(1887年)9月26日に海軍少将へ昇進、艦隊司令官に任ぜられた。明治22年(1889年)3月8日横須賀軍港司令官、明治25年(1892年)12月12日海軍省第2局長を経て、明治26年(1893年)5月20日待命、同月24日予備役となった[3]

明治29年(1896年)12月3日死去。同日従三位に叙せられた。享年58。墓所は曹洞宗海晏寺東京都港区高輪)にある[4]

一女があり、福井藩士大館尚氏の次男・縫次郎を養子とした[4]

脚注

  1. ^ 福島敬典とは”. 2025年11月1日閲覧。
  2. ^ a b c 玉雪堂 1910, p. 527.
  3. ^ a b 芙蓉書房 1981, p. 9.
  4. ^ a b 玉雪堂 1910, p. 529.

参考文献

  • 『越前人物志』 玉雪堂、1910年、527–529頁。
  • 『陸海軍将官人事総覧 海軍編』 芙蓉書房出版、1981年、9頁。



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