福原康太とは? わかりやすく解説

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福原康太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 21:18 UTC 版)

福原 康太
名前
カタカナ フクハラ コウタ
ラテン文字 FUKUHARA Kohta
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1983-03-23) 1983年3月23日(39歳)
出身地 福岡県北九州市八幡西区
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
アトラス
デッツォーラ島根E.C
2008-2014 レノファ山口FC
2014 FCバレイン下関(loan)
2015-2016 FCバレイン下関
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

福原 康太(ふくはら こうた、1983年3月23日 - )は、福岡県 北九州市八幡西区出身の元サッカー選手中国サッカーリーグFCバレイン下関代表。現役時代のポジションは、フォワード(FW)レノファ山口FC在籍時の活躍から「ミスターレノファ[1]と呼ばれている。

来歴

高校時代は、宗像市東海大学付属第五高等学校(現・東海大学付属福岡高等学校)で全国高等学校総合体育大会に2回出場。

高校卒業時に、大宮アルディージャの練習生[2]になるも結果が出せず、アトラス(アルゼンチン)→FCセントラル中国(デッツォーラ島根E.C)を経て2008年からレノファ山口FCに加入。レノファ山口の日本フットボールリーグ(JFL)昇格に貢献した。

2014年シーズン途中にFCバレイン下関に期限付き移籍[3]2015年からはFCバレイン下関に完全移籍[4]。2017年には監督兼GMとなり、県リーグ1部で3年連続優勝。中国地域県リーグ決勝大会を勝ち抜いての、2019年からの中国サッカーリーグ昇格に貢献した。2019年から監督を勇退し代表に就任。2020年はGM兼監督にも復帰し、山口県サッカー選手権大会初優勝を果たし下関市のチームでは東亜大学が出場した1996年以来でチーム念願の天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会出場へ導く[5]。2021年は全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2021出場を果たすも予選敗退。

2022年からは監督に横浜FCシーガルズからサンフレッチェ広島F.C横浜FCで活躍した八田康介氏を招聘し、代表職に専念する。

エピソード

レノファ山口がJ3に昇格した2015年シーズン、当時の石原正康GMやサポーターにとって「10番といえば福原」だったために他に10番を付ける選手は無く空席の1年となった[6]

出典

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