神代種亮とは? わかりやすく解説

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神代種亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 05:27 UTC 版)

こうじろ たねすけ

神代種亮
1936年
生誕 (1883-06-14) 1883年6月14日
日本島根県津和野町
死没 (1935-03-30) 1935年3月30日(51歳没)
国籍 日本
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神代 種亮(こうじろ たねすけ、1883年明治16年)6月14日 - 1935年昭和10年)3月30日)は、日本の校正家。「校正の神様」といわれた。号の帚葉は、誤字を除ける校正業を落葉掃きで譬喩したもの。七松庵とも号す。

来歴

石見津和野(現・島根県津和野町)出身[1]松江師範学校を卒業して教師となる[1]。明治末年に教師を辞めて上京し、大正末年まで海軍大学校図書館に勤務する[1]。そのかたわら、図書館の蔵書を利用して明治文学の研究に没頭する[1]。後に明治文化研究会の一員となる[1]

1924年11月25日東京朝日新聞の夕刊で「校正の神様」として紹介される[1][2]1930年、「日本校正協会」を設立・主宰し、雑誌「校正往来」を発行する[1]

1935年3月30日、東京・千駄木の自宅で突然倒れ、そのまま死去。狭心症とも脳障害による卒倒とも言われるが詳細は不明、享年52歳[1]

永井荷風の『濹東綺譚』の「作後贅言」(いわゆるあとがき)に「神代帚葉翁」(かうじろさうえふ)として、多大の敬意をもってその生涯を回想している。ただし、『断腸亭日乗』中には批判的な記述もあり。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 【赤字のお仕事】取材後記(6) 清流の後 “校正の神様”神代種亮」『産経ニュース』、2018年7月15日。2020年9月18日閲覧。
  2. ^ 「読者課題 校正の神様 誰の本でも片端から誤りを正して反省させる」『東京朝日新聞』第13825号、1924年11月25日、2面。

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