神代に見える科野国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 15:28 UTC 版)
神代の国譲りにおいて、出雲の地で建御雷神に敗れた建御名方神が、科野国の洲羽の海(諏訪湖)まで逃れ、「この地から出ないし、父の大国主神や兄の事代主神に従う。葦原の国は天の神に奉るから殺さないでくれ」と言って同地に鎮まったことが『古事記』に見える。 一方『諏訪大明神絵詞』など諏訪に伝わる伝承では、建御名方神が洲羽に侵入し、土着の洩矢神とそれぞれ藤蔓と鉄鑰を持って争い、建御名方神が勝利したと伝わる。この後、建御名方神の後裔は大祝の諏訪氏に、洩矢神の後裔が神長官の守矢氏になったとされる。 また建御名方神が八坂刀売神を娶って生まれた御子神達が、科野国の発展に大きく貢献したとされる。
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