祖式就信とは? わかりやすく解説

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祖式就信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/16 13:57 UTC 版)

 
祖式就信
時代 江戸時代
生誕 寛永2年(1625年
死没 寛文7年11月23日1668年1月6日
別名 通称:久太郎
主君 毛利秀就綱広
長州藩
氏族 石見小笠原氏庶流 祖式氏
父母 父:祖式元家 母:牛尾安房守の娘
兄弟 就信、就好、義政、為春
正室:宍道就兼の娘
継室:赤川就雅の娘
通治、林忠次室

祖式 就信(そしき なりのぶ)は、江戸時代武士毛利氏家臣で、長州藩士。家格は大組、770石。父は祖式元家

生涯

寛永2年(1625年)、毛利氏家臣である祖式元家の嫡男として生まれる。寛永9年(1632年9月3日に元服し、秀就から「就」の偏諱を与えられて就信と名乗った。

以後、毛利秀就綱広の二代に仕え、寛文7年(1668年11月23日に死去。享年43。後を嫡男の通治が継いだ。

なお、就信の代に祖式氏の屋敷で火事が起こり、毛利氏から祖式氏へ与えられ代々所持していた判物などが焼失・紛失してしまったと、『閥閲録』巻55「祖式右衛門八」に記されている。

参考文献




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