祖先・高木権左衛門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 09:38 UTC 版)
天正8年(1580年)に大村純忠によりイエズス会に寄進された長崎は教会領となり、多くのキリシタンが住むようになった。町の中心人物であった頭人たちの多くもキリシタンだった。しかし、長崎住民に対する棄教命令が出され、それに伴い長崎代官の末次平蔵や町年寄高木作右衛門は棄教し、幕府の意を受けた長崎奉行と協力して町人の改宗に着手した。 それを拒んで長崎の町を出た人は多く、町年寄だった町田ジョアン宗賀や後藤トメ宗印も長崎の町を去った。その中には、高木作右衛門の一族・権左衛門もおり、浦上に逃れ、ここで潜伏して信仰を続けた。この権左衛門が、仙右衛門の祖先である。以後、浦上の高木氏は隠れキリシタンの庇護を続けた。
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