石見銀山処刑場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/02 07:08 UTC 版)
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石見銀山処刑場(いわみぎんざんしょけいじょう)は島根県大田市大森町の石見銀山(世界遺産)蔵泉寺口番所跡近くに存在したと伝承される、天領時代から明治初期の公開処刑場およびその遺跡。12箇所の口番所のうち最大規模。
蔵泉寺口番所は柵内と呼ばれる石見銀山の山内と大森町の境目に位置する番所で、温泉津方面への移動と並んで往来が多く、人や銀の出入りを厳しく監視していた。人通りの多い口番所付近に設けたのは、関所の隣であり人々が畏怖することにより犯罪を抑制する意図があったと考えられる。
概要
当時石見銀山内で採掘作業に従事した鉱夫などが銀を盗むなどの罪を犯した際、治安維持のため公開処刑する場として江戸時代に運用が開始された。地元では首切場、首切刑場跡とも伝承される。
伝承によれば、主として罪人は斬首、磔が行われ処刑された後、山肌に現存する井戸に棄てられたり、遺体を薦に包んで千人壷に運び井戸のような穴へ廃棄されたという。
その他
- 石ころ一つでも持ち出せばその場で「問答無用」で斬首され、多くの無実の人も処刑されたと言い伝えられているが[1]明治期に入り日本は西欧諸国と対等な人権意識を持つよう気運が高まり、村人の基金で大森区にも裁判所(現:町並み交流センター)が設けられ法の下で処罰が下されるようになった。当時この隣には遊廓が存在した。
脚注
外部リンク
- 石見銀山・処刑場跡 - ウェイバックマシン(2004年1月28日アーカイブ分)
- 大森町並み交流センター
- 五百羅漢 羅漢寺
- 石見銀山資料館
- 石見銀山処刑場のページへのリンク