石河正養とは? わかりやすく解説

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石河正養

読み方いしこ まさかい

幕末・明治津和野藩士・国学者津和野藩越智盛宣の子。のち石河正幸の養子となる。通称半蔵・喜三二三二・金左衛門。号に多頭廼舎・審斎。岡熊臣大国隆正国学学び藩校養老館教えた。のちに浜田県大学教授・官大教生となる。著作に『多頭舎歌文集』『産土氏神』など。明治24年(1891)歿、71才。

石河正養

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/27 02:00 UTC 版)

石河 正養(いしこ まさかい、1821年8月29日文政4年8月2日) - 1891年明治24年)11月17日)は、幕末から明治時代の津和野藩国学者神官。本姓は越智氏。通称は半蔵、喜三二、金左衛門。号は審斎。

経歴

石見国の津和野藩士の子として生まれる。国学者の岡熊臣大国隆正に学んだ。藩校の養老館の教官となった。明治維新後は新政府の大教正を務めた。明治24年11月17日死去。71歳。墓所は青山霊園[1]

脚注

  1. ^ コトバンク 石河正養


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