石徹白豊前による独裁体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 18:17 UTC 版)
「石徹白騒動」の記事における「石徹白豊前による独裁体制」の解説
反対派を追放した後、石徹白は吉田家の権威と郡上藩の後ろ盾を持つ豊前の独裁体制が成立した。豊前は追放社人の家財道具一式や備蓄食糧、そして馬を没収して売り払い、私物化した。また造営林、他人の持ち山に関わらず石徹白内の材木を大規模に伐採し、やはり売却益を私物化した。そのあげくに白山中居神社前に石徹白豊前は新たに立派な自らの邸宅を建て、石徹白内に新たにこれまでなかった陣屋を設け、家来の由助を庄屋に任じた。 石徹白豊前の独裁体制は、豊前によって庄屋に任じられた家来の由助を始め、豊前の立場を支持する社人らによって成り立っていた。この体制は騒動が解決する宝暦8年(1758年)末まで続くことになり、この間、石徹白の混乱も継続した。
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