石山キツエとは? わかりやすく解説

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石山キツエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 13:40 UTC 版)

いしやま キツエ
石山 キツエ
生誕 1911年2月1日
北海道雨竜郡雨竜町伏古
死没 (1986-04-21) 1986年4月21日(75歳没)
死因 転落死[1]
国籍 日本(75歳没)
民族 アイヌ
著名な実績 アイヌ文化の伝承、アイヌ文化講習会の講師
親戚 杉村キナラブック砂沢クラ
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石山 キツエ(いしやま キツエ、1911年明治44年〉2月1日[2] - 1986年昭和61年〉4月21日[1])は、日本のアイヌ文化伝承者。

北海道雨竜郡雨竜町伏古で誕生した[2]。家はアイヌ歌謡やユカㇻ(英雄叙事詩[3])の伝承者の家系であり[1]、同じくアイヌ文化伝承者である杉村キナラブック砂沢クラの姪にあたる[3]

父方、母方の祖母からそれぞれ、ユカㇻ、アイヌの歌謡を習い覚えた[1]。ヤイサマ(喜びや悲しみの気持ちを即興で歌う歌)を得意としており[3]、ヤイサマの第一人者ともされている[1]

1928年(昭和3年)に結婚し、旭川市へ移住した[2]。1983年(昭和58年)には夫の石山長次郎や、旭川の他のアイヌ夫妻と共に、アイヌ文化の学習会「ウネウサラ・コトムカ」の講師を務めた[4]。この学習会はアイヌの生活用品、アイヌ語アイヌ料理、薬草、旭川周辺の地名などを学ぶものであり[5]、1983年2月から6月まで開催された[6]。旭川のみならず、北海道内各地から、さらには東京からの参加者もあって、毎回40名を超える盛況であり、新聞紙上でも大きく取り上げられた[4]。その反響には、夫の長次郎の方が驚くほどであった[7]

1986年(昭和61年)4月、自宅近くの小川で死亡している姿が発見された[6]。酔って川に転落し、陸へ登ろうしている間に心筋梗塞を起こしたものとも見られた[6]。75歳没[3]

脚注

  1. ^ a b c d e 『日本女性人名辞典』芳賀登他監修(普及版)、日本図書センター、1998年10月25日、87頁。ISBN 978-4-8205-7881-9 
  2. ^ a b c 『エカシとフチ 北の島に生きたひとびとの記録』 別冊、札幌テレビ放送、1983年12月10日、15頁。 NCID BN0168819X 
  3. ^ a b c d 日本人名大辞典上田正昭他監修、講談社、2001年12月6日、157頁。 ISBN 978-4-06-210800-3https://kotobank.jp/word/石山キツエ-10536892022年3月8日閲覧 
  4. ^ a b 立原宏要「「ウネウサラ・コトムカ」紹介」『地域研究所年報』第7号、旭川大学地域研究所、1985年8月31日、77頁、 NCID AN00333237 
  5. ^ 立原宏要「続「ウネウサラ・コトムカ」紹介」『地域研究所年報』第8号、1986年8月31日、114頁。 
  6. ^ a b c 立原 1986, p. 113
  7. ^ 立原 1986, p. 143



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