石切町とは? わかりやすく解説

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石切町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 09:08 UTC 版)

いしきりちょう
石切町
廃止日 1955年1月11日
廃止理由 新設合併
孔舎衙村石切町枚岡町縄手町枚岡市
現在の自治体 東大阪市
廃止時点のデータ
日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
中河内郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 7,210
国勢調査1950年
隣接自治体 大阪府
中河内郡枚岡町、孔舎衙村、英田村
奈良県
生駒郡生駒町
石切町役場
所在地 大阪府中河内郡石切町大字植附
座標 北緯34度41分12秒 東経135度38分56秒 / 北緯34.68667度 東経135.64878度 / 34.68667; 135.64878座標: 北緯34度41分12秒 東経135度38分56秒 / 北緯34.68667度 東経135.64878度 / 34.68667; 135.64878
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石切町(いしきりちょう)は、大阪府中河内郡にあった。現在の東大阪市の北東部、近鉄奈良線石切駅の周辺にあたる。本項では町制施行前の名称である大戸村(おおえむら)についても述べる。

地理

歴史

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により、河内郡神並(こうなみ)村・芝神並村・芝村・植附(うえつけ)村が合併して大戸村が発足。大字植附に村役場を設置。
    • 村名は『和名抄』に見える古代の名「大戸」による。
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡の統廃合により、所属郡が中河内郡に変更。
  • 1920年大正9年) - 大字神並・芝神並・芝を統合して大字石切が成立。
  • 1946年(昭和21年)6月 - 旧陸軍刑務所を大阪刑務所石切刑務支所とする。準少年、駐留軍関係の受刑者を収容[1]
  • 1950年昭和25年)4月1日 - 町制を施行・改称して石切町となる。
  • 1955年(昭和30年)1月11日 - 中河内郡孔舎衙村枚岡町縄手町と合併して枚岡市が発足。同日石切町廃止。

交通

鉄道路線

現在は他に近鉄けいはんな線新石切駅も所在するが、当時は未開業。

道路

現在の旧村域

概ね上石切町・東石切町・北石切町・中石切町・西石切町に該当し、東大阪市立石切中学校の学区にあたる[2]

脚注

  1. ^ 重松一義『日本刑罰史年表 増補改訂版』p.272 柏書房 2007年
  2. ^ 旧村域に日下町一丁目(旧・孔舎衙村)を加えた地域。

参考文献

関連項目



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