石上寺 (熊谷市)とは? わかりやすく解説

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石上寺 (熊谷市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 07:34 UTC 版)

石上寺

所在地 埼玉県熊谷市鎌倉町36
位置 北緯36度08分38秒 東経139度22分52秒 / 北緯36.144022度 東経139.381155度 / 36.144022; 139.381155座標: 北緯36度08分38秒 東経139度22分52秒 / 北緯36.144022度 東経139.381155度 / 36.144022; 139.381155
山号 星河山[1]
院号 千手院[1]
宗旨 新義真言宗[1]
宗派 真言宗智山派
本尊 千手観音[1]
創建年 寛永年間
開山 栄光上人[1]
開基 竹井新左衛門信武[1]
正式名 千手院星河山石上寺
法人番号 5030005013205
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石上寺(せきじょうじ)は、埼玉県熊谷市鎌倉町にある真言宗智山派寺院である。山号は星河山。本尊は千手観音

歴史

当寺は千手院星河山と称し、寛文11年(1671年)栄光上人が開山。開基は竹井新左衛門信武(寛永15年(1638年)9月26日)。1873年(明治6年)1月25日火災により、本堂、庫裡、寺宝等を失った。1921年(大正10年)1月墓地を大原に移し、1933年(昭和8年)庫裡を新築した。1945年(昭和20年)8月熊谷空襲のため本堂など焼失した。その後、妻沼地区の農家より仏堂を譲り受け仮本堂として2009年(平成21年)まで使用していた。宮大工の小川三夫棟梁により2年がかりで現在の新本堂が再建された。

度重なる荒川の洪水を治めるため、熊谷を支配していた鉢形城主北条氏邦は、天正2年(1574)松岩寺あたりから石上寺先あたりまで堤を築いた(北条堤)。現在も高所である。築堤後も堤の決壊に繰り返しみまわれ、その加護を願って堤の傍に建てられたのが石上寺である。石を積んだ上に建てられた寺という意味である。

モース博士像

1879年(明治12年)8月13日、林有章など地元の有力者が発起人となり境内の学舎でモースの講演会を開催。モースはダーウィン説に基づく「進化論」を通訳付きで熱弁した。当時の日本人には衝撃的で、聴衆からは批判された。埼玉県初の外国人科学者講演の地として「モース博士像」が置かれている。

交通アクセス

脚注

参考文献

  • 熊谷市史編さん室『熊谷市史 通史編』熊谷市、1983年
  • 『熊谷市郷土文化会誌』熊谷市郷土文化会、第63号、2007年
  • 「熊谷町 石上寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ220大里郡ノ2、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764010/13 

関連項目

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