真壁高幹とは? わかりやすく解説

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真壁高幹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/29 05:10 UTC 版)

 
真壁 高幹
時代 鎌倉時代後期から南北朝時代
生誕 正安元年(1299年9月
死没 文和3年/正平9年4月8日1354年5月1日
別名 小太郎
官位 掃部助河内
幕府 室町幕府
主君 足利尊氏
氏族 真壁氏
父母 父:真壁幹重(否定説あり)、母:不詳
兄弟 顕幹、度幹?、則幹?
貞幹、政幹?、幹常
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真壁 高幹(まかべ たかもと)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての常陸武将

生涯

高幹の名乗りは北条高時偏諱を受けたものと考えられている[1]。南北朝時代では北朝に属して転戦し、康永3年/興国5年(1344年)7月に足利尊氏から常陸真壁郡など9カ所の地頭職を軍功として宛がわれた[2]。文和2年/正平8年(1353年)7月、尊氏の上洛に従って供奉した[2]。翌年に死去[2]。享年56。

高幹の時代の真壁氏の系図は混乱して後世の創作を含んでいる可能性が高く、高幹の没後に庶流である美濃真壁氏(真壁政幹及び孫の広幹)が東国に復帰して常陸真壁氏の惣領家から宗家の地位を奪ったとする説が有力である[3]。高幹の出自についても幹重の嫡子とする系図の主張を認める立場[1][3]と(惣領家に近い)常陸真壁氏庶流の出自で幹重との親子関係はないとする立場[4][5]に分かれている。

系譜

  • 父:真壁幹重(否定説あり)
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:真壁貞幹
    • 男子:真壁政幹(否定説あり)
    • 男子:真壁幹常

脚注

  1. ^ a b 清水 2016, 清水亮「鎌倉期における常陸真壁氏の動向」
  2. ^ a b c 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年、569頁。 
  3. ^ a b 山田邦明 著「常陸国真壁氏の系図に関する一考察」、中世東国史研究会 編『中世東国史の研究』東京大学出版会、1988年。 /所収:山田邦明『鎌倉府と地域社会』同成社、2014年。ISBN 978-4-88621-681-6 
  4. ^ 海津一朗「南北朝内乱と美濃真壁氏の本宗家放逐」『生活と文化』4号、1990年。 /所収:清水 2016
  5. ^ 糸賀茂男「『真壁文書』の周縁」『関東地域史研究』第一輯、1998年。 

参考文献

  • 清水亮 編『常陸真壁氏』戒光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第一九巻〉、2016年。 ISBN 978-4-86403-195-0 



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