相應院とは? わかりやすく解説

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相応院

読み方:ソウオウイン(sououin)

宗派 真言宗豊山派

所在 山形県西置賜郡白鷹町

本尊 大日如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

相應院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/20 05:51 UTC 版)

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相應院
所在地 岐阜県高山市桜町149
位置 北緯36度8分52.7秒
東経137度15分41.9秒
座標: 北緯36度8分52.7秒 東経137度15分41.9秒
山号 桜雲山
宗派 高野山真言宗
本尊 不動明王
創建年 不詳
開基 不詳
中興年 明治25年(1892年)
中興 桜山識雄
札所等 飛騨三十三観音霊場2番
中部四十九薬師霊場40番
地図
法人番号 1200005009908
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相應院(そうおういん)は岐阜県高山市にある高野山真言宗の寺院。前身は桜山八幡宮別当寺長久寺である。飛騨三十三観音霊場2番札所であり、中部四十九薬師霊場40番札所でもある。

創建は不明であるが、明治維新後に神仏分離令が発せられるまで桜山八幡宮の別当寺の長久寺として栄えていた。神仏分離令が出てから廃寺の憂き目を見るが、当時の住職桜山識雄が高野山で廃院になっていた金森氏ゆかりの相応院の名跡をうけて明治25年に再興した。本尊の不動明王は長久寺の本尊であったが、相応院で祀られていた金森長近奉納と伝わる阿弥陀三尊像も受け継いでいる。また円空作の薬師如来も所蔵する。

参考資料

  • 飛騨寺院風土記

相応院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/28 01:13 UTC 版)

相応院(そうおういん)

人物

寺院


相応院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 09:17 UTC 版)

相応院 (蒲生氏郷正室)」の記事における「相応院」の解説

寛永18年5月9日1641年6月17日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性織田信長次女蒲生氏郷正室

※この「相応院」の解説は、「相応院 (蒲生氏郷正室)」の解説の一部です。
「相応院」を含む「相応院 (蒲生氏郷正室)」の記事については、「相応院 (蒲生氏郷正室)」の概要を参照ください。

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