相応寺_(名古屋市)とは? わかりやすく解説

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相応寺 (名古屋市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/28 00:47 UTC 版)

相応寺

本堂
所在地 愛知県名古屋市千種区城山町1-47
位置 北緯35度10分12.6秒 東経136度57分30.4秒 / 北緯35.170167度 東経136.958444度 / 35.170167; 136.958444座標: 北緯35度10分12.6秒 東経136度57分30.4秒 / 北緯35.170167度 東経136.958444度 / 35.170167; 136.958444
山号 宝亀山
宗派 浄土宗鎮西派
創建年 寛永20年(1643年
開山 眼譽呑屋
開基 徳川義直
正式名 寶亀山 相應寺
法人番号 2180005000760
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相応寺(そうおうじ)は、愛知県名古屋市千種区城山町にある浄土宗寺院

由緒

寛永20年(1643年)、尾張藩初代藩主徳川義直が生母相応院お亀の方の菩提のため、現在の東区山口町に一万二千坪の境域を定め建立した[1]慶安3年(1650年)、江戸にて没した義直の遺骨を当寺に入れて供養し、後に定光寺に義直廟墓が造営され葬られた[1]。寺領三百石を賜り、その後尾張徳川家の夫人・子女が葬られるとともにその遺品も納められた[1]昭和9年、東区山口町から現在地へ本堂、総門、山門、鐘楼等が移建された[1]

文化財

名古屋市指定文化財

  • 本堂
  • 総門
  • 山門
  • 紙本淡彩相応院画像
  • 紙本淡彩相応院画像 賛有
  • 板絵著色杉戸絵(芙蓉図、花卉図、菊図)5面
  • 絹本著色当麻曼荼羅図
  • 絹本著色釈迦涅槃図
  • 千手観音菩薩立像

特記

山門額と本堂額は義直の直筆である[1]

ギャラリー

所在地

  • 愛知県名古屋市千種区城山町1-47

参考文献

出典

  1. ^ a b c d e 相応寺の歴史”. 相応寺. 2014年12月30日閲覧。

関連項目

外部リンク




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