盲堀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/14 01:13 UTC 版)
「進藤正次 (弘前藩)」の記事における「盲堀」の解説
正次が開発した用水路は「進藤堰」と呼ばれている。また、青森御仮屋の堀の工事に際しては、盲人を起用した。盲人を無用の人間と見る周囲に対し、正次は「それは盲人になにもさせないからである。盲人ともいえども立派な人間であり、目が見えないだけで手も足もある。教える立場の人間が上手に指導すればなんら他の人々に負けることはない。」と主張し、一般と同等の賃金を支払い、正次の指揮により工事をさせたところ、立派な堀が完成した。その結果、正次や盲人達の功績をたたえ、「盲堀」と呼ばれるようになった。
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