盧文弨とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 盧文弨の意味・解説 

盧文弨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 00:25 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

盧 文弨(ろ ぶんしょう、1717年 - 1795年)は、考証学者。漢籍の校勘と出版で知られる。

を召弓(または紹弓[1])という。室名抱経堂(ほうけいどう)といい[2]、『抱経堂叢書』が有名である。

なお、よく似た名前の「抱経楼」(ほうけいろう)は盧文弨の親戚にあたる盧址中国語版の室名。

生涯

盧文弨の原籍は紹興府余姚県であるが、先祖のときに杭州府仁和県に移住した[1]。1752年に探花の成績で進士に及第した[1]翰林院編集・侍読学士・湖南学政などを歴任したが、1768年に官を辞し、江浙各地の書院で教えた。

盧文弨は同時代の戴震段玉裁と交流を持った。多くの書籍を収集・校勘・出版したために、学者に裨益することが大であった。

日本から輸入された山井鼎『七経孟子考文』を読んで驚嘆し[3]、それに刺激されて『十三経注疏』の校勘を行った。盧文弨の没後、阮元はその志をついで『十三経注疏』を重刻し、校勘記を作成した[4]

著作

自らが校訂した漢籍を出版した『抱経堂叢書』263巻がよく知られる。『経典釈文』『逸周書』『白虎通』『方言』『荀子』『新書』『春秋繁露』『顔氏家訓』『西京雑記』『独断』などを含む。

以下の書物も『抱経堂叢書』に含まれる。

  • 『群書拾補』初編(39巻)は、諸書に引用されている古書の文章(異文・佚文)を集めたもの。
  • 『抱経堂文集』(34巻)は、盧文弨による序跋・書簡などの文集。

脚注

  1. ^ a b c 段玉裁翰林院侍読学士盧公墓誌銘」『経韻楼集』巻8。
  2. ^ 韓愈寄盧仝詩「春秋三伝束高閣、独抱遺経究終始」にもとづく。盧文弨と盧仝の間に関係があるかは不明
  3. ^ 周易注疏輯正題辞」『抱経堂文集』巻7、1781年。「乾隆己亥(=1779年)友人示余日本国人山井鼎所為『七経孟子考文』一書、歎彼海外小邦猶有能読書者」
  4. ^ 高橋 (1996) p.112,120

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  盧文弨のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「盧文弨」の関連用語

盧文弨のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



盧文弨のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの盧文弨 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS