的真噛とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 的真噛の意味・解説 

的真噛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/19 19:02 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
本来の表記は「的真嚙」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

的 真噛(いくは の まくい、生没年不詳)は、飛鳥時代の人物。

記録

的氏は、的戸田宿禰の起源説話から窺われるように、軍事により朝廷に仕えることを特色とした氏族で、大化以前には、大王の側近や朝廷の警衛にあたっていた。

用明天皇2年(587年)4月の用明天皇が崩御により[1]皇位は一時的に空位となる。有力な皇位継承者である穴穂部皇子大連物部守屋と手を組むが、大臣蘇我馬子は先手を打って、先々代の大王である敏達天皇の大后の炊屋姫の勅命を奉じ、佐伯丹経手土師磐村とともに、的真噛に、

「汝等(いましら)、兵(いくさ)を厳(よそ)ひて速(すみやか)に往(ゆ)きて、穴穂部皇子と宅部皇子(やかべのみこ)とを誅殺(ころ)せ」

と告げた。その日の夜半、彼らは穴穂部皇子の宮を囲み、衛士を用いて穴穂部皇子を殺した[2]。翌8日には穴穂部皇子と仲の良かった宅部皇子も殺害している[3]

的真噛の名前が登場するのは、この場面のみである。この事件により、蘇我氏と物部氏の直接の抗争がはじまる。

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 『日本書紀』用明天皇2年4月9日条
  2. ^ 『日本書紀』崇峻天皇即位前紀(用明天皇2年)6月7日条
  3. ^ 『日本書紀』崇峻天皇即位前紀(用明天皇2年)6月8日条

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  的真噛のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「的真噛」の関連用語

的真噛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



的真噛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの的真噛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS