百々城 (三河国)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 百々城 (三河国)の意味・解説 

百々城 (三河国)

(百々城 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 00:49 UTC 版)

logo
百々城
愛知県
城郭構造 平山城
築城主 青山喜太夫
築城年 不明
主な城主 青山喜太夫、青山大膳、青山忠門
廃城年 天正18年(1590年)頃
遺構 曲輪石垣土塁
指定文化財 未指定
埋蔵文化財
包蔵地番号
愛知県No.510092[1]
位置 北緯34度59分19.7秒 東経137度10分27.1秒 / 北緯34.988806度 東経137.174194度 / 34.988806; 137.174194座標: 北緯34度59分19.7秒 東経137度10分27.1秒 / 北緯34.988806度 東経137.174194度 / 34.988806; 137.174194
地図
百々城
テンプレートを表示

百々城(どうどじょう)は、愛知県岡崎市百々町字東側にあった日本の城平山城)。

概要

松平氏に仕えていた青山氏居城。築城年は不明だが、永享年間に松平信光岩津城を築いて松平郷から移った際に、藤原師賢の末裔という青山光教がこれに従い百々に移り、代々居城とした[2]

『諸家系譜』の青山氏の家譜[3]には、天文2年(1533年)に松平清康が百々村の所有を青山氏に認めた書状の写が記されている。

徳川家康が関東移封となった、天正18年(1590年)頃に、廃城になった。 城跡には青山忠門の墓が建ち、明和8年(1770年)には子孫で篠山藩主青山忠高によって墓碑が建てられた。

現在の状況

現在の七所神社の東方付近が城跡で、県遺跡番号510092として埋蔵文化財包蔵地になっている[1]

脚注

  1. ^ a b 「愛知県文化財マップ」(マップあいち)愛知県公式HP
  2. ^ 岩津町誌. 岩津町. (1936). p. 169. https://dl.ndl.go.jp/pid/1224446/1/169 
  3. ^ 「諸家系譜」青山1国立公文書館デジタルアーカイブ

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「百々城 (三河国)」の関連用語

1
6% |||||

百々城 (三河国)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



百々城 (三河国)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの百々城 (三河国) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS