白起登用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 16:33 UTC 版)
宰相の魏冄は白起を将軍として推挙した。昭襄王は従わざるを得ず、白起を左庶長に任じた。この白起の登用が秦の国土を大きく飛躍することになった。 紀元前293年、白起を左吏に昇格させ、韓・魏を討たせた。伊闕の地で首を斬ること24万を数え、5城を抜くことに成功した(伊闕の戦い)。秦が魏を伊闕で破ると聞くと、東周は秦に攻められることを恐れて、使者を派遣して和議を講じるようになった。 また、国尉(軍司令官)に昇格させ、引き続き魏を討たせた。黄河を渡って魏の安邑以東、乾河にいたる地を取った。紀元前292年に白起を大良造に昇格させ、再度魏を討たせた。垣の地を取り、大小61もの城を落とし、魏の国力を大きく傾かせることに成功した。
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