登瀛書院 (南投県)とは? わかりやすく解説

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登瀛書院 (南投県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/20 15:09 UTC 版)

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登瀛書院の中殿

登瀛書院(とうえいしょいん、繁体字: 登瀛書院)は、台湾南投県草屯鎮にある書院代の文士の称号「十八学士登瀛洲」に由来する。民国74年(1985年)に中華民国内政部により県定三級古蹟に指定された。この書院は代の道光28年(1848年)に、朝廷により設立された。当初は平埔族の教育を目的としていた。その後、私塾となり、学田の設置により経費が賄われた。現在の建物は光緒9年(1883年)に修築されたものである。エレガントでシンプルな建築様式であり、周囲には巨樹が並んでいる[1]

建築

建物は南向きであり、前面に照壁が、左右に護龍が配置されている。中殿は独立した構造であり、講堂になっている。講堂の裏には神龕が設置されており、左から紫陽夫子朱熹、文昌帝君、魁斗星君が並んで奉られている[1]

参考文献

  1. ^ a b 李乾朗 (2009-04-10). 台灣古建築圖解事典 (四版五刷 ed.). 台北市: 遠流出版社. ISBN 957-32-4957-X. 

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