癡兀大慧とは? わかりやすく解説

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癡兀大慧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/22 08:10 UTC 版)

癡兀大慧
1229年寛喜元年) - 1312年12月20日正和元年11月22日
平等房
諡号 仏通禅師
尊称 平等房
生地 勢州
宗旨 臨済宗
宗派 東福寺派
寺院 安養寺・大福寺
円爾
弟子 能信
著作 『十牛訣』

癡兀大慧(ちこつ だいえ、1229年寛喜元年) - 1312年12月20日正和元年11月22日))は、鎌倉時代である。伊勢国出身。[1] 平清盛の子孫とする説がある[2]

天台宗真言宗の教えに精通した僧であったが、東福寺円爾に論争を挑んだところ、逆に感化されてその弟子となった。[1]

脚注

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参考文献

  • 日本大辞典刊行会編, ed (1975). “ちこつだいえ【癡兀大慧】”. 日本国語大辞典. 13 (初版 ed.). 東京: 小学館. p. 350. 

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