痛郎とEPNF
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/06 23:35 UTC 版)
第二期痛郎が解散するのと同じ頃、dip the flagが解散したことで、オオハラノブヲ(drums)を、「ガイヤの痛郎」で共演した下重守(guitar)を迎えライブ活動を再開。古い痛郎のレパートリーを封印し、メロディアスでPOPな傾向の曲を演奏した。当時若くスマートなセンスのオオハラと下重が、コテコテな「インドの蛭」をやるのは、ちょっと無理があるか、ちょっと酷か、似合わないか、ディップのファンが許さないか、ということは意識していた。コテコテの変拍子で演奏重視よりも、もう少し軽い感じで、というコンセプトである。この時期は東京以外でライブをするときにだけ「痛郎」を名乗っていた。 井手宣裕、大橋義典、オオハラノブヲ (ライブは東京以外の場合、痛郎名義で活動) 井手宣裕、大橋義典、オオハラノブヲ、下重守(ライブは東京都内の場合、活動するとき痛郎の名前は伏せていた)
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