田淵光一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 田淵光一の意味・解説 

田淵光一

(田渕光一 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 00:33 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

田淵[1] 光一(たぶち こういち、1900年明治33年)2月3日[2]1972年昭和47年)5月3日[1][3])は、昭和期の実業家政治家衆議院議員。「田渕」と表記される場合がある[3]

経歴

和歌山県有田郡、のちの金屋町(現有田川町)で生まれた[1]法政大学専門部法律科で学んだが[3]関東大震災で負傷し中退した[1]

1937年(昭和12年)日本林産鉱業取締役社長、1938年(昭和13年)明治採炭鉱業社長にそれぞれ就任し[1]、1942年(昭和17年)から三重県奈良県亜炭鉱山上野炭鉱などを経営した[1][3]。その他、奈良県亜炭鉱業会長、近畿亜炭鉱業会理事、全国亜炭鉱業連合会常任理事、奈良県亜炭協同組合理事長、石炭増産協力会推進専門委員、全国亜炭産業会総務理事、全国亜炭協会長、国際化成社長、伊賀窯業取締役などを務めた[1][3]

1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙和歌山県第2区から民主自由党公認で出馬して当選[1][3][4]。1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙では落選し[5]、1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙では当選し[1][5]、衆議院議員に通算2期在任した[1][3]。この間、衆議院水産委員長、自由党人事副部長、同党務副部長、同遊説副部長、同総務などを務めた[1][3]。その後、第27回第28回第29回総選挙に立候補したがいずれも落選した[5]

脚註

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『和歌山県史 人物』288頁。
  2. ^ 衆議院『衆議院議員名簿.第20回国会』〈衆議院公報附録〉、1954年、25頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』365-366頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』284頁。
  5. ^ a b c 『国政選挙総覧 1947-2016』285頁。

参考文献

  • 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代:
田口長治郎
衆議院水産委員長 次代:
廃止



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  田淵光一のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田淵光一」の関連用語

田淵光一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田淵光一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田淵光一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS