田島榮とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 田島榮の意味・解説 

田島榮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/20 23:33 UTC 版)

田島 榮(たじま さかえ、1932年7月16日 -2020年7月20日[1] )は、日本劇作家1956年から劇団前進座に所属し、歴史劇から現代劇まで幅広い作品を脚色、執筆している。

来歴・人物

1932年(昭和7年)7月16日、劇作家の父田島淳と母つやの二男として生まれる。1952年(昭和27年)、私立横浜高等学校を卒業し、中央大学法学部に入学するも、1955年(昭和30年)に中退。1956年(昭和31年)、劇団前進座に入座した。2020年7月20日、肺がんで死去。享年88。妹に日本画家の田島奈須美。長男は上原美術館(仏教館)主任学芸員の田島整[1](1970年(昭和45年)[2] - )。

主な戯曲作品

前進座座員としての戯曲

  • 吉川英治原作、小池章太郎と共同脚色 「かんかん虫は唄う」(1967年)
  • 早乙女勝元原作、小池章太郎と共同脚色「ハモニカ物語」(1967年)
  • 田島榮・羽田功が劇化「桜吹雪遠山の金さん・謎模様怒十年」(1974年)
  • 山本周五郎原作 「さぶ」(1975年)
  • 松谷みよ子原作 「まえがみ太郎」(1976年)
  • 山本周五郎原作 「柳橋物語」(1977年)
  • 山本周五郎原作 「あすなろう」(1978年)
  • 新田次郎原作 「怒る富士」(1980年)
  • 山本周五郎原作 「夜の辛夷」(1981年)
  • 田島榮作 「法然」(1982年)
  • 芥川龍之介原作 「羅生門」(1982年)
  • 司馬遼太郎原作 「尻啖之孫市(しりくらえまごいち)」(1983年)
  • 山本周五郎原作 「つゆのひぬま」(1985年)
  • 山本周五郎原作 「赤ひげ」(1987年)
  • 山本周五郎原作 「わたくしです物語」(1989年)
  • 山本周五郎原作 「青べか物語」(1990年)
  • 神坂次郎原作 「今日われ生きてあり」(1991年)
  • 山本周五郎原作 「深川安楽亭」(1992年)
  • 三浦綾子原作 「母」(1993年)
  • 田島榮作   「法然と親鸞」(2007年)

前進座以外への戯曲

  • 田島榮作「風雪のみずうみ」(1985年)新潟県紫雲寺町
  • 田島榮作「越後義民伝」(1990年)

刊行された戯曲

  • 山本周五郎原作・田島榮脚色「赤ひげ」 ヨムゲキゴールド(2000年)演劇ぶっく社

参考文献

  • 劇団前進座公式サイト内、劇団各部門・文芸演出部部員プロフィール

外部リンク

脚注

  1. ^ a b 田島整@伊豆下田(@wakeneko2005). “墓誌のこと。”. X(twitter). 2023年11月21日閲覧。
  2. ^ 上原美術館 たじま先生”. し~もん. 下田市自然体験活動推進協議会. 2023年11月21日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田島榮」の関連用語

田島榮のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田島榮のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田島榮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS