田山暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 13:07 UTC 版)
田山盲暦のつくりかたは至って原始的で、絵は一つ一つ木活になっている。横長に貼り付けた紙を十四折にして、一折りを1ヶ月として最初と最後のページを表紙にする。その紙に、木活に墨汁をつけて押したもので、能率があがらない幼稚な作業で、一部作るのに2~3時間もかかった。田山歴は元治年間(1864年-1865年)までは盛んに作られたが、明治13年を最後に廃絶された。それは、明治初年に県令が暦の木活を県に引き上げようとした際に、命令で福岡まで持っていったときに、木活の一部を盗まれてしまった。それ以来、版元の八幡家では代々門外不出としたという。
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