田中達彦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 田中達彦の意味・解説 

田中達彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/21 03:20 UTC 版)

田中 達彦
基本情報
国籍 日本
出身地 千葉県銚子市
生年月日 (1945-08-27) 1945年8月27日(79歳)
身長
体重
179 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1964年
初出場 1965年
最終出場 1966年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田中 達彦(たなか たつひこ、1945年8月27日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手

来歴・人物

銚子商では1年生の時、1961年夏の甲子園に控え内野手として出場するが、2回戦で浪商に敗退する[1]。最上級生となった1963年には、三塁手、四番打者として夏の甲子園に再び出場。1回戦では柳川商に12-1で大勝、大会第1号本塁打を放つ。2回戦では静岡高に勝利、この試合では2年生エース勝浦完(サッポロビール)をリリーフし甲子園初登板を果たす。準々決勝に進出するが今治西高に0-3で完封負けを喫した[1]。2年下のチームメートに、この大会では一塁手として出場した木樽正明がいる。8月末からは全日本高校選抜の一員としてハワイ遠征に参加した。

1964年南海ホークスに入団[2]。大型内野手と期待され、同年には村上雅則高橋博士と共にサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の1Aフレズノに野球留学する。1965年には一軍に上がり、シーズン終盤には三塁手として11試合に先発出場。しかしその後は出場機会に恵まれず、1968年には投手に転向するが、1969年限りで現役引退。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1965 南海 24 49 43 1 6 0 0 0 6 1 1 0 1 0 5 0 0 12 2 .140 .229 .140 .369
1966 2 2 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
通算:2年 26 51 45 2 6 0 0 0 6 1 1 0 1 0 5 0 0 14 2 .133 .220 .133 .353

背番号

  • 7 (1964年 - 1967年)
  • 71 (1968年)
  • 69 (1969年)

登録名

  • 田中 達彦 (たなか たつひこ、1964年 -1967年)
  • 吉川 達彦 (よしかわ たつひこ、1968年 - 1969年)

脚注

  1. ^ a b 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、340ページ

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田中達彦」の関連用語

田中達彦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田中達彦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田中達彦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS