田中大輔 (野球)とは? わかりやすく解説

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田中大輔 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 08:57 UTC 版)

田中 大輔
中日時代(2013年、阪神甲子園球場)
基本情報
国籍 日本
出身地 広島県三次市
生年月日 (1984-12-18) 1984年12月18日(40歳)
身長
体重
175 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 2006年 希望入団枠
初出場 2007年8月1日
最終出場 2016年4月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田中 大輔(たなか だいすけ、1984年12月18日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手捕手[1]

来歴・人物

プロ入り前

広島県三次市出身。如水館高校では2年夏(2001年)に一学年上の柳瀬明宏とバッテリーを組み甲子園に出場。

卒業後は東洋大学に進学し、2年春よりレギュラーに定着、主将も務めた。大学時代は永井怜、1学年下の大場翔太とバッテリーを組んでいた。東都大学リーグ通算72試合出場、236打数68安打、打率.288、3本塁打、36打点。ベストナイン1回受賞。2006年の大学・社会人ドラフト中日ドラゴンズ希望枠で入団。なお、翌年に希望枠が廃止されたため中日で最後の希望枠での入団者である。

中日時代

プロ1年目の2007年は首脳陣の要望もあって二軍で前田章宏と共に主力捕手としてマスクを被る。同年のフレッシュオールスターゲームに途中出場した。その後一軍昇格し、8月1日の広島戦(広島)でスタメン出場を果たした。地元ということもあり、多くの応援団が駆け付けた。8回までをリードして4失点とし、田村藤夫捕手コーチからは「初めてにしては頑張った」と評された。その後一軍出場はなかったものの、一軍のブルペンでマスクを被るなど練習を積んだ。

2008年は春季キャンプでは当初から一軍メンバー入りし、中日スポーツではキャンプ中の田中の動きを追う特集記事が連載されるなど期待されたが、2月26日から読谷組(主に二軍メンバー)へ行くことが決定した。同日の田中大輔日記で「悔しくないかといったらうそになりますけど…。一からの鍛え直しです。また1軍のほうに呼ばれるように頑張っていくしかないです。」と心境を語った。開幕後も前年に続いて二軍でレギュラー捕手としてマスクを被った。5月29日にシーズン初の一軍登録。6月6日日本ハム戦(ナゴヤ)では2007年8月以来のスタメンで試合終了までマスクを被り、1回表2死から出塁した高口隆行を二塁で刺すなど強肩をみせた。一方で日本ハム打線に被安打17で7失点を許し、課題も多い結果となった。6月10日に抹消されるも小田幸平の負傷で再登録、その後、谷繁の復帰に伴い、抹消された。8月29日に再び登録され、8月31日の対広島戦(ナゴヤ)で5-0で迎えた6回裏第3打席でプロ初安打を放った。また、9月6日の対横浜戦では同期の清水昭信の初完投勝利をリードした。12月に東洋大で同級生だった一般女性と結婚することになった[2]

2009年は春季キャンプを目前に右肩を故障して出遅れ、その間に日本ハムから加入した小山桂司に差をつけられてしまった。

2010年は一軍出場なしに終わり、オフに背番号を58に変更した。

2012年は小山の移籍もあり、15試合に出場した。

2013年はシーズン終盤から起用されるようになると15試合に出場して打率.280を記録した。また、プロ初本塁打を地元のMAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島で打っている。

2014年は同学年の武山真吾の加入もあり、3試合の出場に留まり、10月1日に戦力外通告を受けた[3]

オリックス時代

2014年11月14日、オリックスが獲得することが発表された[4]

2015年は開幕一軍に選ばれるも、代打の1試合のみの出場に終わった。

2016年も2年連続で1試合のみの出場に終わり、10月25日に戦力外通告を受け、12月2日に自由契約公示された[5]

引退後

引退後は生命保険会社に入社し、営業マンに転身した[6]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2007 中日 2 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 .000 .500 .000 .500
2008 17 27 23 1 4 0 0 0 4 0 0 0 1 0 3 1 0 3 1 .174 .269 .174 .443
2011 4 8 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 2 0 .000 .250 .000 .250
2012 15 19 19 0 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 4 1 .105 .105 .158 .263
2013 15 27 25 1 7 2 0 1 12 2 0 0 0 1 0 0 1 7 0 .280 .296 .480 .776
2014 3 4 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .250 .250 .250 .500
2015 オリックス 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2016 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
NPB:8年 58 89 79 2 14 3 0 1 20 3 0 0 2 1 6 1 1 17 2 .177 .241 .253 .495

年度別守備成績


捕手 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2007 2 10 1 0 0 0 1.000 1 0 1 1.000 -
2008 16 51 9 0 1 0 1.000 9 5 4 .444 -
2011 4 11 1 0 0 0 1.000 2 1 1 .500 -
2012 10 28 2 0 1 0 1.000 5 4 1 .200 1 4 0 0 1 1.000
2013 15 51 5 2 0 2 .966 11 8 3 .273 -
2014 3 8 0 0 0 0 1.000 2 2 0 .000 -
2016 1 0 0 0 0 0 .000 0 0 0 .000 -
通算 51 159 18 2 2 2 .989 30 20 10 .333 1 4 0 0 1 1.000

記録

背番号

  • 28(2007年)
  • 22(2008年 - 2010年)
  • 58(2011年 - 2014年)
  • 97[7](2015年 - 2016年)

登場曲

脚注

  1. ^ a b c d e 田中 大輔 選手名鑑、ORIX BUFFALOES OFFICIAL WEB SITE、2016年1月6日閲覧。
  2. ^ 田中、来月結婚 彼女が優しく“好リード”(中日スポーツ 2008年11月27日付)
  3. ^ 来季の契約について中日球団公式サイト 2014年10月1日配信
  4. ^ オリ、中日戦力外の田中獲得と発表ニッカンスポーツ2014年11月14日配信
  5. ^ 自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
  6. ^ 元中日“ドラフト1位”33歳保険営業マンのいま キャッチャーの観察眼が生きる第2の人生”. 東海テレビ放送 (2018年12月10日). 2021年1月2日閲覧。
  7. ^ 田中 大輔 選手名鑑、ORIX BUFFALOES OFFICIAL WEB SITE、2016年1月6日閲覧。

関連項目

外部リンク




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