田中たつとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 田中たつの意味・解説 

田中たつ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/15 16:08 UTC 版)

田中たつ
たなか たつ
生年月日 1892年8月14日
出生地 日本 鳥取県会見郡米子町
(現・鳥取県米子市
没年月日 (1985-08-30) 1985年8月30日(93歳没)
出身校 京都府立医科大学
前職 保健婦
所属政党 国民党→)
国民協同党

選挙区 鳥取県全県区
当選回数 1回
在任期間 1946年 - 1947年3月31日
テンプレートを表示

田中 たつ(たなか たつ、1892年明治25年〉8月14日[1]1985年昭和60年〉8月30日[2][3])は日本の政治家、衆議院議員(1期)。旧姓は高坂[1]

来歴

鳥取県米子町(現米子市)に生まれる[1]。小学校卒業後、看護婦養成所に入り、1911年(明治44年)に卒業する[1]。その後、産婆学校を出て、看護婦として病院に勤務し、1922年大正11年)に産婆を開業した[1]。さらに京都府立医科大学で産婆学を学び[2]、保健婦の資格を得て、1943年(昭和18年)に鳥取県保健婦協会会長に就任した[2][3]

1946年(昭和21年)、戦後第1回の総選挙に鳥取県から無所属で立候補して最下位(4位)で当選した[4]。当選後は国民党を経て国民協同党に入った[注釈 1]。翌1947年(昭和22年)の総選挙鳥取全県区から立候補したが落選した[8]。その後は再び立候補しなかった。1985年死去。

脚注

脚注

  1. ^ 当選直後の第90議会から国民党[5]。1947年(昭和22年)3月8日に協同民主党と合併して、国民協同党となった[6][7]

出典

  1. ^ a b c d e 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』240頁。
  2. ^ a b c 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』241頁。
  3. ^ a b 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』359頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』150頁。
  5. ^ 衆議院議員党籍録 第1回帝国議会~第92回帝国議会 254コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 衆議院議員党籍録 第1回帝国議会~第92回帝国議会 257コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 衆議院議員党籍録 第1回帝国議会~第92回帝国議会 260コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 『朝日選挙大観』535頁。

参考文献

  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
  • 岩尾光代著『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』(日本放送出版協会、1999年)ISBN 4140804394
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田中たつ」の関連用語

田中たつのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田中たつのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田中たつ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS