現実の砂漠との差異
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 07:44 UTC 版)
本多勝一は、この詩の内容が砂漠の旅の描写としては空想的であるとして、以下の点を指摘している。 遊牧民は水を運ぶのに水甕(みずがめ)ではなく皮袋を使う。まして、金属製の甕(かめ)では中の水が煮立ってしまう。 王子と姫が2人だけで旅をしていたら、たちまちベドウィンに略奪される。 砂漠で月が「朧にけぶる」のは、猛烈な砂嵐が静まりかけるときぐらいに限られる。 その上で本多は、「『月の沙漠』の歌は、当時の日本人の心の奥底にあった夢を、美しく、具象的に表現したのである。だからこそ、この歌はいつまでも人気があるのだ。私たちは、現実の沙漠を知ったあとでも、やはり『月の沙漠』の歌に心がひかれるだろう」と評している。なお、この指摘については、加藤も「とんでもないことを書いてしまったわけなんだが、今からじゃあどうしようもない」と認めている。
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