王陵とは? わかりやすく解説

王陵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 03:32 UTC 版)

王 陵(おう りょう)は、

  1. 中国末から前漢の人で、楚漢戦争では劉邦に仕えた将軍で劉邦を天下に導いた。内容は後述。
  2. 中国の戦国時代の人で五大夫。生没年不詳。紀元前258年長平の戦い後に昭王から更迭された白起の代わりにを攻めるが、信陵君春申君が率いる援軍に敗退して、翌年に王齕に交代させられた。

王 陵(おう りょう、? - 紀元前180年)は、末から前漢の人。の人。

沛県の豪族で飾り気がなく直言を好む人物であった。漢の高祖劉邦も大成前は王陵を兄として仕えていたことがあった。

生涯

劉邦が挙兵し咸陽を落としたころ、王陵は数千の兵を集めて南陽に割拠し、劉邦に従おうとはしなかった。劉邦が項羽と戦うようになると、王陵は漢に属するようになった。項羽は王陵の母を人質にして王陵を従わせようとしたが、王陵の使者が項羽の元を訪れた際、王陵の母は「漢王(劉邦)に従うように。私のために二心を持ってはいけません」と使者に伝えさせると、自分は剣に伏して自殺した。項羽は怒ってこの母を釜茹でに処した。王陵は従属が遅く、また劉邦の宿敵雍歯と仲が良かったことから、列侯に封じられるのが遅かったが、高祖6年(紀元前201年)8月に安国侯(5000戸)に封じられる。

蕭何の後任候補として曹参らと共に挙げられたがその際に劉邦は「馬鹿正直」と評している。

恵帝6年(紀元前189年)、相国曹参の死を受けて王陵が右丞相陳平が左丞相となった。

恵帝の死後、呂后は自分の一族呂氏を王にしようとした。王陵にそのことを尋ねたところ、「高祖は『劉氏以外で王になるものがいたら天下皆でこの者を討て』と白馬を生贄にして盟を行いました。呂氏を王とするのはこの盟に背くものです」と堂々と答えた為、呂后は不機嫌になったが正論であるために怒る事ができなかった。同じことを陳平、周勃らに尋ねたところ、「高祖(劉邦)は天下を統一すると自分の子弟を王としました。今は皇太后(呂后)が天下を治めているのですから、呂氏の子弟を王として問題はありません」と答え、呂后を喜ばせた。王陵は後で陳平らを「君たちは高祖との盟の時にその場にいなかったのか?何の面目があって死後の世界で高祖に会えるというのだ」と責めたが、陳平は「朝廷で主と面と向かって争う点では私は貴方にかないませんが、社稷を全うし、劉氏の後継者を定めるという点では貴方は私に及びません」と答え、王陵は言い返せなかった。

呂后は王陵を疎んじ、高后元年(紀元前187年)に王陵を太傅に祭り上げて宰相の実権を奪った。王陵は怒り、病気を理由に辞職して屋敷の門を閉じ、朝廷にでることもなくなった。

高后8年(紀元前180年)に死去し、武侯と諡された。子の哀侯王忌が安国侯を継いだ。彼は1年で没し、その子の終侯王斿が継いだ。彼は39年で没し、その子の安侯王辟方が継いだ。彼は20年で没し、その子の王定が継いだ。武帝の時代に安国侯王定は酎金を怠った件により、所領を没収され平民に落とされた。しかし、宣帝の時代に王陵の子孫の王襄が再興することを許された。

参考文献

  • 漢書』巻1下高帝紀下、巻16高恵高后文功臣表、巻19下百官公卿表下、巻40王陵伝

王陵(おう りょう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 00:42 UTC 版)

達人伝-9万里を風に乗り-」の記事における「王陵(おう りょう)」の解説

長平攻略軍、のちに白起後任として邯鄲攻略軍を率い将軍攻城戦が得意。

※この「王陵(おう りょう)」の解説は、「達人伝-9万里を風に乗り-」の解説の一部です。
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