王凱泰とは? わかりやすく解説

王凱泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/22 06:14 UTC 版)

王 凱泰(おう がいたい、Wang Kaitai1823年 - 1875年)は、の官僚。初名は敦敏、字は補帆江蘇省宝応県出身。

1850年進士となり、庶吉士に選ばれ、編修の職を授かった。1860年、母の死で帰京したところ、太平天国軍が長江の北に進攻したので、団練を組織して戦った。1863年、江蘇巡撫李鴻章の幕府に入り、1865年に浙江巡撫馬新貽のもとに派遣され、食糧の補給を担当した。1866年、浙江按察使に昇進し、水利事業を行って農業の復興に努めた。1867年には広東布政使となった。1870年、福建巡撫となり、学問の振興、械闘・火葬・女児の間引き・迷信の禁止を行った。日本が台湾出兵を行うと台湾に駐屯したが、病のため福州に戻り、そこで病死した。死後、文勤の諡号が贈られた。

関連項目

出典

先代
何璟
福建巡撫
1870-1875
次代
丁日昌




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「王凱泰」の関連用語

王凱泰のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



王凱泰のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの王凱泰 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS