玉野市歌とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 玉野市歌の意味・解説 

玉野市歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 09:29 UTC 版)

玉野市歌

市歌の対象
玉野市

作詞 壺井繁治
作曲 関忠亮
採用時期 1950年8月3日[1]
言語 日本語
テンプレートを表示
映像外部リンク
玉野市歌(岡山県玉野市) - YouTube(玉野市公式チャンネル【岡山県玉野市】)

玉野市歌」(たまのしか)は、岡山県玉野市が制定した市歌である。作詞・壺井繁治、作曲・関忠亮

本記事では、市歌と同時に制定された市民音頭「玉野音頭」についても解説する。

解説

1950年(昭和25年)の市制10周年を記念し、市民音頭「玉野音頭」と併せて制定された。市歌・市民音頭のいずれも懸賞募集に拠らず市歌は作詞を詩人の壺井繁治、作曲を声楽家の関忠亮に、音頭は作詞・作曲ともソングライター三木鶏郎に依頼したものである[2]

歌詞は全6番と戦後に作られた自治体歌としては長大なもので、かつ全文が平仮名で書かれている点が特徴。「玉野音頭」の方が短期間で演奏されなくなったのに対して「非常に荘重であり、むしろ儀式用というべきもの」を志向して作られた市歌は市が主催する式典の際に必ず演奏することとされ[2]、これは平成後期においても継続している[1]。2022年(令和4年)には市のYouTubeチャンネルで市制60周年記念式典において斉唱された市歌の公式音源が公開された。

玉野市に関連する楽曲としては市歌と「玉野音頭」の他に、1970年(昭和45年)の市制30周年を記念して水前寺清子の歌唱でクラウンレコードから発売された市民愛唱歌「花咲く玉野」「明るい玉野」、1990年(平成2年)に市制50周年を記念し新市民音頭として作成された「玉野いきいき音頭」がある。

玉野音頭

「玉野市歌」と同日に選定された「玉野音頭」(たまのおんど)は、作詞・作曲とも三木鶏郎に依頼して作成された楽曲である[2]

ところが、三木は当時NHKラジオで全国放送されていた『日曜娯楽版』内の「冗談音楽」コーナーにおいて、この「玉野音頭」の旋律を流用して新たに歌詞を付けた様々な楽曲を公開し、地元以外ではそうした事情が知られなかったが故に「玉野音頭」が「冗談音楽」の替え歌であるかのように錯覚されることが多かったと1972年(昭和47年)刊の『玉野市史』続編において回顧されている[2]。そのため、市歌が半世紀以上にわたり市の行事で歌い継がれたのとは対照的に「玉野音頭」は短期間で演奏されなくなった。

そのような経緯もあり20年後に奥野椰子夫の作詞、米山正夫の作曲で市制30周年記念歌として作られた「花咲く玉野」の振付が「玉野おどり」の別名で呼ばれ、市民音頭としての地位を獲得するような状況となっている。

参考文献

出典

  1. ^ a b 中山(2012), p338
  2. ^ a b c d 市史・続(1972), pp406-407

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  玉野市歌のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「玉野市歌」の関連用語

玉野市歌のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



玉野市歌のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの玉野市歌 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS