玉目丹波守 (初代)
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玉目 丹波守 (たまめ たんばのかみ)は、安土桃山時代の武士。諱は不明。加藤清正の家臣。肥後国南郷高畑城主。清正の側室・正応院の父であり、彼女の産んだ加藤家2代・忠広の外祖父にあたる。
- ^ 出羽庄内藩酒井家の記録『大泉紀年』収録の「故加藤肥後守殿御家来落着望之次第書付」忠広死去後の遺臣の一人生熊九郎助という者の申告に、寛永9年の加藤家庄内配流時に、肥後に残された忠広の祖母、即ち正應院の生母を迎えに肥後へ下ったことが記されていた。《生熊九郎助 歳四拾六 一、肥後守息、松平豊後守江七年奉公仕候、肥後守庄内へ被罷越候刻、肥後守祖母打送りに供仕罷下、当地ニ居留り、肥後守ニ二十二年奉公仕候、…》
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