片岡直公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/01 09:04 UTC 版)
片岡 直公(かたおか なおきみ、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2025年〈令和7年〉5月23日)は、千葉県市川市出身[1]の日本の実業家。全日警創業者。全国警備業協会会長などを歴任した。
経歴
立教大学社会学部卒業後に父親が経営する、白黒ニュースフイルムを再生する会社の「三栄映材」に入社し、専務取締役に就任[1]。
映画産業の衰退から転職を考えていた際に1964年(昭和39年)開催の東京オリンピックでの開会式見学後に立ち寄った選手村でのきびきび動く警備員の姿を見て、感銘を受けた[1]。1966年(昭和41年)に友人5人と全日警を設立[1]。当時は警備業の認知度も低かったため、片岡ら幹部自らが実演を交えた営業を行うこともあった[1]。その後の三億円事件等の凶悪犯罪やテレビドラマ「東京警備指令 ザ・ガードマン」の大ヒット等により、世間での警備に対しての意識の高まりなどもあり、業界の認知度も上がり急成長した。
全日警では、JR東海や羽田空港、中部国際空港などの主要インフラや公共施設、大型店の警備を請け負い、業界5位の大手企業に成長を遂げた。創業から2011年(平成23年)まで全日警の社長を務め、同年をもって息子の片岡由文に譲り、自身は会長となった。
1983年(昭和58年)に東京都警備業協会会長、2002年(平成14年)から2006年(平成18年)5月まで全国警備業協会会長を2期務めた[2]。
また、片岡は出身地の市川市での活動も精力的に行っており、市川市商工会議所会頭、市川市観光協会会長を務めた[1]。市川市八幡市民会館のネーミングライツも取得し、「全日警ホール」の名で知られている。2024年(令和6年)には市川市名誉市民の称号が贈られた[3]。
2011年(平成23年)秋の叙勲で旭日中綬章を受章した[4][5]。
2025年(令和7年)5月23日、死去した[2]。88歳没。死没日付で正五位に叙された[6]。
人物
- 小泉純一郎や麻生太郎、森田健作、平沼赳夫ら政界人との交流も広く、前述の旭日中綬章を受章した際の祝賀会に出席している[4]。また地元・市川市を地盤とする衆議院千葉県第5区選出の薗浦健太郎の後援会長も務める。
- 全日警のCMに長年出演していた元プロ野球選手の金田正一と交流があり、同様の席に出席している[4]。
脚注
- ^ a b c d e f “リーダーの横顔 まぶしかった 東京五輪の警備員 片岡 直公”. 日商アシストビズ. (2018年10月1日) 2022年6月7日閲覧。
- ^ a b “片岡直公氏が逝去 クローズUP”. 警備保障タイムズ (2025年6月11日). 2025年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月1日閲覧。
- ^ “市川市名誉市民・市民栄誉賞”. 市川市公式webサイト (2025年5月29日). 2025年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月1日閲覧。
- ^ a b c “市川商議所会頭片岡氏受章祝う 警備業界発展に寄与”. 千葉日報. (2012年4月14日) 2022年6月7日閲覧。
- ^ “平成23年秋の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2011年11月3日). 2016年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月16日閲覧。
- ^ 『官報』第1496号11頁 令和7年6月30日
外部リンク
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