父・権八良高
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 03:21 UTC 版)
山本権八の父、良高(1779ごろ - 1844ごろ)は、会津藩士三宅家から山本家に養子に入り、権八を名乗った。良高は諱。1808年(文化5年)に利尻島警備に従事し、これがきっかけで長銃を研究、さらに1842年(天保13年)には江戸で砲術家の市川熊雄から臼砲の製造法を学び、会津に伝えた。これらの働きで、山本家は幕末に砲術家として活躍することとなる。
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