燈明寺 (江戸川区)
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| 燈明寺 | |
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       本堂
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| 所在地 | 東京都江戸川区平井6-17-30[1] | 
| 位置 | 北緯35度42分31.2秒 東経139度50分23秒 / 北緯35.708667度 東経139.83972度座標: 北緯35度42分31.2秒 東経139度50分23秒 / 北緯35.708667度 東経139.83972度 | 
| 山号 | 明雅山[1] | 
| 院号 | 明王院[1] | 
| 宗派 | 新義真言宗[1] | 
| 本尊 | 不動明王[1] | 
| 創建年 | 不詳 | 
| 開山 | 元暁[1] | 
| 中興 | 恵祐[1] | 
| 正式名 | 明雅山 明王院 燈明寺 | 
| 別称 | 平井(の)聖天 | 
| 札所等 | 南葛八十八ヶ所霊場 51番・65番 | 
| 文化財 | 平井聖天(区指定史跡) | 
| 法人番号 | 3011705000157 | 
燈明寺(とうみょうじ)は、東京都江戸川区平井にある新義真言宗の寺院。山号は明雅山。院号は明王院。本尊は不動明王。境内に聖天堂があり、古くから信仰を集め、関東三聖天(埼玉県妻沼聖天、江戸浅草待乳山聖天)のうちの一つである平井聖天とも称される[2][3]。
歴史
この寺の創建年代については不詳であるが、元暁という僧により開山されたと伝えられる。江戸時代中期の1749年(寛延2年)に示寂した恵祐がこの寺を中興して聖天を勧請して堂を建て、以後聖天の寺として信仰を集めた。なお、この寺はかつては真言宗豊山派に属していたが、戦後に現在の新義真言宗に改められた[注釈 1]。旧本山は金蓮院[1]。
また、鹿鳴館が解体された際に売却されたシャンデリアが保存されている[5]。
文化財
- 平井聖天(燈明寺)- 江戸川区指定史跡、昭和57年2月8日告示[6]
所在地・アクセス
脚注
注釈
出典
参考文献
- 「民俗・文化・自然編 第二章 神社と寺院 第二節 寺院 三 各神社の由緒沿革 九九 灯明寺」『江戸川区史』 第三巻、江戸川区、1976年3月、539頁。
- “平井聖天(燈明寺)”. 江戸川区文化財・史跡 (2019年1月31日). 2020年5月31日閲覧。
- 「下平井村 燈明寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ26葛飾郡ノ7、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763979/27。
関連文献
- 「民俗・文化・自然編 第三章文化遺産 第二節 史跡と名所 平井聖天」『江戸川区史』 第三巻、江戸川区、1976年3月、633頁。
- 斎藤幸雄「巻之七 揺光之部 平井聖天宮」『江戸名所図会』 4巻、有朋堂書店、1927年、258-259頁。NDLJP:1174161/134。
関連項目
外部リンク
- “燈明寺と平井聖天節分の火渡り”. 江戸川区. 江戸川区役所. 2020年5月30日閲覧。
- “平井の渡し跡”. 江戸川区文化財・史跡. 江戸川区教育委員会事務局 教育推進課 文化財係 (2019年1月31日). 2025年3月9日閲覧。 - 平井聖天への参詣路
- 燈明寺_(江戸川区)のページへのリンク

 
                             
                    







