照光寺 (石岡市)とは? わかりやすく解説

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照光寺 (石岡市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/26 00:08 UTC 版)

照光寺
所在地 茨城県石岡市府中2-4-9
位置 北緯36度11分28.7秒 東経140度16分20.5秒 / 北緯36.191306度 東経140.272361度 / 36.191306; 140.272361座標: 北緯36度11分28.7秒 東経140度16分20.5秒 / 北緯36.191306度 東経140.272361度 / 36.191306; 140.272361
山号 雷電山
院号 西向院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 応安7年(1374年
開山 良善
開基 大掾高幹
文化財 常陸府中藩主松平家墓所、絹本著色釈迦涅槃図(以上、石岡市指定文化財)
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照光寺(しょうこうじ)は、茨城県石岡市にある浄土宗寺院

歴史

1374年応安7年)、大掾高幹の開基である。当初は現在の同市鹿の子に位置していた。天正年間(1573年 - 1592年)の戦火で焼失したが、大掾氏に代わって府中城の城主となった佐竹氏によって、1603年慶長7年)に現在地に移転した[1]

そして1700年元禄13年)に松平頼隆常陸府中藩を立藩し、頼隆を始祖とする石岡松平家の菩提寺となった。1857年安政4年)に現在の本堂を建て、寺子屋教育を開始した。ここの寺子屋の生徒には藤田小四郎との繋がりがあったことから、後に小四郎らが決起した天狗党の乱では、天狗党の陣営が置かれていた[1]

文化財

  • 常陸府中藩主松平家墓所(石岡市指定文化財 昭和53年8月23日指定)[2]
  • 絹本著色釈迦涅槃図(石岡市指定文化財 平成17年9月15日指定)[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、136-137p
  2. ^ a b 市指定文化財一覧石岡市

参考文献

  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年



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